小さいのは結局・・・誰?_image
"身体を整える"ことでより豊かな日常を!!皆さまの心身の健やかさを支える、楽しい【場】を提供しています
ソフィア清水ヨガ教室 稲垣千枝子

小さいのは結局・・・誰?

小屋にはいろんな人が訪れる。

今日は高校生の山岳部の集団と引率の先生たち

ツアーで山に登る集団

高齢者の登山グループ

親子連れ、家族連れ

さまざまな年代のご夫婦

ひとりで来る男女も大勢

山慣れた人もいれば

そうでない人もいる

一昨日のツアー客は

出発から13時間かかって戻ってきた

色んな方がいて

全国からここに来る

みんな山が好きなんだな

自分と一緒だなあ

と思えるから

出来る限り役に立っていたい。

大半の方はマナーがきちんとしている。(と、思う)

毎日毎日

雑音で起こされちゃうけどねッ

 

毎日山を見上げる生活は幸せ。

今日は曇り空

5時過ぎに河原に下りて読書

短編一つ読んでから

ヨガをする

 

それにしても

私は

なぜ山に登るのか

なぜ山が好きなのか

・・・・・・・・・・・・・・・

答えなんて

ちゃんと浮かばないし

言葉にしてしまいたくないような気持ちもある。

でも

たった今、思うのは

その時

その瞬間

その場でしか感じられない新たな感覚があって

それは

誰にもあるものなんだけど

山にいるときに持つ感覚は

他の何をしているときより

自分の身体が

底から震わせられるというか

奮い立たせられる感覚なんだ

と、思う。

そうやって

自分を感じているんだよなあ、

私は。

それも

今のところ、なんだけど。ね。

 

そうそう

先日仙丈ケ岳に登った時に読んだ

山頂で谷川俊太郎の詩集

 

山頂でのその時

共感できるものがあったのでここに紹介します

この詩を

先日、私に会いに遠くから小屋に来てくださった

お二人にも贈りたいと思います。

山荘だより

 

午頃は長調の風とんぼ

夕暮は単調の噴煙

記憶は匂いにのって帰って来

神の精緻な記録と予言に

僕は思わず目を閉じた

 

刻まれた暗い歴史に

白樺の肌は深く

山と花との世界観に

僕はすべての濾過を願っている

 

みにくいのは結局誰か

小さいのは結局誰か

しかし

遠い山脈のような壮大な感傷の中で

僕はすべてを忘れる

すべてを・・・忘れる

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は私の当番でした

大量に余っている海苔の消費のために

磯部焼

中身はひき肉、ネギ、納豆

乾物使い

ワインビネガーが決めて!

到底うまくいかないのに

役に立とうとするのもわたし

忘れてしまいたいことを

忘れられないのもわたしなんだ

二十億光年の孤独

なんのその~!!

 

また、ね。

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